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愛猫との気ままな日常&猫への想いを綴る…Lime's Nyan Column
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No.1034…猫の引き際 
 2009/05/31 Sun 19:35:36  E d i t
.............

読売新聞(5/28付)の読者投稿欄に載っていた話。
12歳の飼い猫のミーちゃんが、トシのせいかだいぶ弱っている。その
ミーちゃんが軒下に寝そべっているのに、すぐ近くまでスズメがやって
きて、猫が食べ残したものをついばんでいたそうだ。
猫が弱っているのを小鳥たちはちゃんと知っているのだ。こうなると、
小鳥にさえばかにされてしまうのだろうか…と、その人は書いていた。

その話を読んだら、来夢の最後の春を思い出した。
来夢が腎不全で闘病を続けていた、2002年の早春の頃。。。

来夢の病状は一進一退を繰り返していた。猫はとても我慢強い動物
だという。ひょっとしたら本当はすごく辛かったのかもしれないが、
あまりそんなそぶりは見せなかった。
最期まで私の手を煩わせることもなく、ただ静かに日々を過ごしていた。

1034n1.gif

かつて来夢は、体も大きくてケンカも強かった。外を知っている雄猫に
とっては、縄張りというものはとても重要な意味をもつらしい。
雄猫は、自分の縄張りに他の雄猫が侵入するのを許さないものだ。
(侵入禁止の相手は雄猫に限る。雌や仔猫の場合は、その限りではない)
来夢は、我が家の敷地内に他の雄猫を見ると必ず追い出して、ケンカに
なっても必ず勝ったものだ。でも、老いて弱ってからの来夢は、当然と
いうべきか、少しずつ変わっていった。

ある日のこと。
来夢がテラスの日溜りに寝そべっていると、近所の雄猫が入ってきた。
来夢が弱っているのが分かっていたのだろう。若い雄猫は、そのまま
うちの軒下で、これ見よがしにグルーミングを始めた。
元気な頃の来夢なら、そんな侵入を決して許さなかったのに、そのときの
来夢は、その猫をチラっと見ただけで、黙ってまた目を閉じた。
あえて気づかないふりをしたように見えた。もう、体力も気力も
なくなっていたのだろう。スズメになめられたミーちゃんと同じだ。

若くて元気な雄猫たちがどんどん台頭してきていた。来夢も、次第に
ケンカに勝てなくなって、自分の引き際を悟ったのかもしれない。
あのときの来夢の気持ちを思うと今も切ない。。。

ふっと思い出した遠い日の思い出ひとつ...................



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No.983…命 日 
 2009/02/20 Fri 11:08:19  E d i t
きょうは来夢(らいむ)の命日.....
あれから7年の歳月が流れたけれど、今も思いは褪せず
来夢が居た日々を懐かしく思い出す。

来夢

思えば、猫がどれほど誇り高い生き物かと思い知らされたのも、
最期のあの日だった...................

来夢はもう衰弱がひどくてトイレに行くのも辛そうだったので、ベッド
にはペットシーツを敷いていた。「オシッコしたくなったら、ここで
するんだよ。遠慮するな」と言い聞かせていたのに、最期まで、
一度としてそそうをすることもなく、必ず自力でトイレまで行って
用をたしていた。その姿は痛々しいほどだった。
来夢には来夢なりのプライドがあったに違いない。
「この俺さまが、お漏らしなんてみっともないマネなんかできるかよ」
…と、きっと思っていたのだろう(苦笑)

最期の朝の忘れられない出来事...................
彼はトイレに向かって歩いていたが、ヨロヨロと1歩歩いては立ち止まり、
2歩歩いてはよろめいて、それは実に辛そうだった。ひとっとびで
行けそうな距離なのに……。切なくて泣いた。
抱き上げて連れて行こうとしたが、かろうじて思いとどまった。
来夢のプライドを傷つけてはならない。ただ、私は見守っていた。

猫が、ただ「歩く」というだけのことに、これほど感動したのは、
そのときが初めてだ。胸が張り裂けそうだった。。。

やっとのことでトイレにたどり着いた彼は、しかしもう力が足りない
ようだった。衰弱していたので、しばらく前から砂を掘ることもせず、
用だけ済ませて砂かけもせずに出ていたのだが、そのときはもう
足をふんばる力さえ残っていないようだった。
たまりかねて、私は来夢の体を支えてやった。彼は申し訳なさそうな
顔をして、長いオシッコをした。

983n0

その日の夜遅く、来夢は永遠の眠りについた。
昏睡状態が数時間続いた後、来夢は、最期の瞬間に目を開けて私を見た。
「お迎えが来たよ、もう行かなきゃ…」と言ったように思えた。
時が止まったように思えた瞬間だった。
来夢は逝ってしまった・・・

あれから7年。。。
時間の経過は時に残酷だけど、時には良薬にもなる。7年という時の流れは、
悲しみや辛さを少しずつ薄れさせ、心を癒してくれた歳月でもあった。
今もことあるごとに愛しく思い出す。
来夢の思い出をたどり、あのやさしい温もりを思い出す。
リブはもちろん可愛いけれど、来夢への思いは今も特別だ…。
思い出して懐かしんであげることが供養なのだと思っている。。。


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No.881…来夢が居た夏 
 2008/07/24 Thu 19:46:58  E d i t
.....来夢

ベランダの掃除をしているとき、夏場、来夢(らいむ)は、好んでベランダの雨樋の下に寝転んでいたっけな?と、ふと思い出した。
夏になると、来夢はよくその場所にビロ?ンと伸びて寝そべっていた。コンクリートの日陰はひんやりとして気持ちがよかったようだが、しばらくすると、床に密着している部分が熱くなってくるらしくて、ゴロ?ンと寝返りをうって体勢を変える。
毛皮を脱げないことに同情しながらも、何気なく見ていると、視線を感じたのか、こちらをチラリと見て、「何や?」と言う顔をしたり…。
のほほんと過ごしていた、そんな夏の来夢を思い出して、しばし懐かしさに浸る。

来夢に関する思い出の品々をしまいこんだ引き出しを、久しぶりに開けてみた。
▼このシール...................
おまじないの句

立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる
待つとし聞かば いま帰り来む


これは、百人一首にも載っている 中納言行平の歌 である。
※ 中納言行平

この歌は、紙に書いて戸口に貼ると、いなくなった猫が帰ってくるというおまじないの句として使われるそうだ。たまたま、来夢が亡くなった頃に、月刊雑誌、『猫の手帖』に、付録として付いていたシールだ。
来夢は行方不明になったわけではない。確かに、その死をこの目で見届けたのだから…。でも、分かってはいても、ひょっこりと帰ってきそうな気がして、私はこのシールを、来夢の遺影にずっと貼り付けていたのだ。
あれから6年半が経とうとしているけれど、かつて、来夢が居た夏があったことを、今も懐かしさと共に思い出すのである。。。



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